関西国際空港ロータリークラブ

KANSAI INTERNATIONAL AIRPORT ROTARY CLUB

ロータリークラブの沿革

ロータリークラブの誕生

20世紀初頭のアメリカ合衆国は、永い経済不況のため多くの人の心は荒れすさんだ状況といえた。1905年2月23日、このような状況に憂いを抱いたシカゴの一青年弁護士ポール ハリスは3人の友人と語り合い、第一回会合を開いたのがロータリークラブの誕生であった。ロータリーの名は、会員が集会を持ち回りで順番に各人の事務所で開いたことに由来する。以来、90年余り、ロータリークラブは着実に成長し、現在200以上の国と地域に広められ、34,216のクラブと1,214,714名(2012年10月31日R.1.公式発表)の会員数に達し、更なる発展が期待されている。

日本ロータリークラブの沿革

日本のロータリークラブは、1920(大正9)年10月20日三井銀行の重役であった米山梅吉氏が東京ロータリークラブを創立し、翌1921年4月1日世界で855番目のクラブとして加盟承認された。
その後、第二次世界大戦の関係で、一時国際ロータリーから脱退のやむなきに至ったこともあったが、戦後復帰するや忽ち活発な活動が始まり、現在では北海道から沖縄まで全国全ての都市や町に2,296クラブ89,096名(2013年5月31日現在)のメンバーがその理想の実現を目指し活動している。

関西国際空港ロータリークラブの創立とその後

関西国際空港ロータリークラブは、関西国際空港の開港のインパクトと西暦2004年に予定された近畿全域・北陸の一部よりなる4地区(国際ロータリー第2640地区・第2650地区・第2660地区・第2680地区)合同主催の国際ロータリー世界大会開催事業を念頭に創設がなされたと考えられます。
1995年7月第2640地区I.M.6組近隣会長幹事会に地区拡大部門委員が出席し、「ロマン溢れる新クラブの設立」の具申がなされ、I.M.6組9クラブの支援を前提に1996年5月楠公延ガバナー(1995~1996)は泉佐野R.C.田附太一郎氏にガバナー特別代表、塩谷春雄氏にガバナー特別代表補佐を委嘱し、同6月泉佐野R.C.(柴田俊一会長1995~1996)をスポンサークラブと決定した。その後、泉佐野クラブは、この拡大事業を創立35周年記念事業と位置付け伊達岡陽一拡大委員長、川上寛一副委員長を中心に才新正也会長(1996~1997)、大工貞晋幹事はじめ野出敏夫・永山一郎・柴田俊一・刀谷久郎・石田淑人・森友 猛・横河僖治・田附豊治・南慎一・向井 新・下出谷先雄・檜垣孝明など各氏合計18名により拡大委員会を組織し、活発な拡大活動を行なった。
併せて、榎本長平地区拡大部門カウンセラー、御前昌一同補佐、畑野 恒地区拡大委員長の懇切丁寧なご指導や中村幸吉ガバナー(1996~1997)のご協力と適切なご助言があり、さらには近隣クラブの協力があり、設立の準備がなされました。
1997年2月25日ホテル日航関西空港において創立総会を開き、3月12日国際ロータリーメンバーとして認証を受理することが出来ました。
国際ロータリー加盟認証状伝達式は5月25日同じくホテル日航関西空港において盛大に執り行なわれ、これをもって国際ロータリー第2640地区70番目のクラブとして正式に誕生しました。
この認証状伝達式における記念事業として(1)「ようこそ関西国際空港へ!」を関空に乗り入れている35ケ国、22種の主要言語に訳した記念ボードを関西国際空港株式会社に寄贈。(2)ロータリー財団へ12,152USD、米山奨学会へ722,000円の寄付を行ない、ロータリーへの貢献の第一歩を踏み出しました。
関西国際空港ロータリークラブの名称は、国際ロータリーと関西国際空港株式会社の特別配慮がなされた結晶であり、その名に相応しいロータリー活動が期待されることを会員一同自覚し行動している。

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